【医師解説】京大病院が誤投薬で患者死亡!炭酸水素ナトリウムは怖い薬剤なのか?
2019年11月19日、京都大学医学部附属病院で、薬の濃度間違いによる死亡事故が起こりました。
記事では、以下のように書かれています
京都大医学部付属病院(京都市左京区)は19日、腎機能障害のある心不全の男性入院患者に、注射薬の炭酸水素ナトリウムを処方する際、誤って本来投与すべき薬剤の6.7倍の濃度の同一成分製剤を投与した結果、6日後に死亡したと発表した。
患者は成人男性。造影剤を用いたコンピューター断層撮影(CT)の検査を行う際、急性腎不全となるリスクがあった。入院患者の場合は腎保護用の生理食塩水を検査前に6時間点滴する必要があったが、検査までの時間が十分に取れなかったため、代替策として外来患者向けの炭酸水素ナトリウムを用いたという。
さらに、本来は濃度1.26%の炭酸水素ナトリウム注射液を投与すべきだったが、成分は同じながら、商品名の異なる濃度8.4%の製剤を誤投与してしまったという。(中略)
その後、患者は心停止となり、蘇生処置で心拍は再開したものの、心臓マッサージに伴う胸骨の圧迫が要因とみられる肺からの出血が止まらなくなった。止血術などの対応を取ったが、患者の内服薬に抗凝固薬が含まれていることに気づくのが遅れたこともあり、出血を止められず死亡させてしまったという。(引用:京都新聞)
上記の事故で亡くなられた男性には、まずお悔やみを申し上げます。
今回の医療過誤は、3つの問題点があります
①薬剤のオーダーミス
②炭酸水素ナトリウムは腎保護として適切か
③抗凝固薬の情報周知
わたしは現在内科医として病院に勤務していますが、この炭酸水素ナトリウムは「ある病気」に比較的よく用いている薬です。見慣れた薬ですが、なぜこのような事故が起こってしまったのか、医師の視点で解説していこうと思います。
事故の背景 ~造影剤腎症という脅威~
腎機能障害のある患者に対して、腎臓から排泄される造影剤を用いた場合、「造影剤腎症」という合併症を起こすことがあります。
原因ははっきりとわかっていませんが、造影剤により腎臓への血流障害がおこる、造影剤自体の腎毒性などが挙げられています。
比較的高い確率で人工透析の導入が必要になるため、患者へ大きな負担を強いることになってしまいます。
そのため、腎機能障害がある人へ造影CTをする時にはかなり気を遣って検査を行う必要があります。
その造影剤腎症の予防の一環として用いた「炭酸水素ナトリウム」が、今回の状態悪化の原因であったとされています。
①炭酸水素ナトリウムは薬剤の濃度によって規格が異なる
まず、炭酸水素ナトリウムの添付文書をKEGGで確認しましょう
今回誤って投与された8.4%の炭酸水素ナトリウムは、商品名「メイロン」と呼ばれ、医療機関で広く用いられている薬です。
上記添付文書を見てもらうとわかるのが、炭酸水素ナトリウムは
・1.26%は1000mlのバッグのみ
・8.4%は20mlのアンプルと250mlのバッグ
と、濃度によって薬剤の大きさが異なります。8.4%は、より血行動態に影響を与えやすいためゆっくり投与すべきもので、少なめの量に設定されています。
逆に、1.26%は1000mlの生理食塩水に炭酸水素ナトリウムが混注されており、補液がメインの点滴になります。
なぜ炭酸水素ナトリウムが血行動態に影響を与えやすいかは後述していきます。
オーダーミスのチェック機構は働いていたのか
そもそも、医師が薬を誤って処方した場合、それが患者に投与されるまでにはいくつかチェックポイントがあります。
1. オーダー時点の自動チェック:パソコン画面に「別規格の薬剤があります」「類似名称の薬剤があります」等のポップアップが流れるようになっている(業者や設定により異なります)
2. 薬剤師のチェック:その患者に対して、薬剤が投与禁忌などに該当しないか確認する
3. 看護師のチェック:薬剤名、投与量などの誤りがないか総合的に確認する
8.4%炭酸水素ナトリウムの投与方法は看護師も熟知しておくべきものですが、そもそもオーダーの時点で医師が投与量や投与方法を詳しく記載しておくべき薬剤です。患者の基礎疾患があるならなおさら、投与時にも看護師とダブルチェックが望まれます。
1.の時点で既に間違いがあった可能性が高いのですが、検査前のオーダーであるため薬剤師も看護師も、はっきりと目的を認識できていなかった可能性が高いと思われます。医師の責任が大きい事例と考えますが、コンピューター上できちんとチェック機能が働いているか確認が必要です。
炭酸水素ナトリウムの血行動態への影響
炭酸水素ナトリウムは、体内のpHを安定させるために重要な役割を果たしており、特に体の中に酸(H+)が多い状態(=アシドーシス)とならないように緩衝材として消費されます。下記の式は酸塩基平衡の式で、H+が増えてきたときは、NaHCO3(炭酸水素ナトリウム)を介して、二酸化炭素と水に変化させることでH+を減らそうとする動きに傾きます。
CO2 + H2O ⇆ NaHCO3 ⇆ HCO3- + H+
頻度の高い使われ方として、めまい・ふらつき・嘔吐などいわゆる「めまい症」に対して炭酸水素ナトリウム 8.4%を40mlほど静注する、という慣習?があります。エビデンスは不明です。
しかし、少ない量でも血行動態に変化を与えることがあるため、「5分以上かけて、ゆっくり静注する」という注意書きがあるほどです。
というのも上記の式にもあるように、酸塩基平衡ではアシドーシスを補正する際に、必ず二酸化炭素、水が出てきます。また、ナトリウム(いわゆる塩分)が補充されるため、血管内のボリュームが増えます。なので、急速に高用量の炭酸水素ナトリウムが投与されると水が増え、心臓への負担が多くなります。
②炭酸水素ナトリウムは腎保護として弱く推奨される
(参照:エビデンスに基づく CKD 診療ガイドライン 2013)
(参照:腎障害患者におけるヨード造影剤使用に関するガイドライン2018(案))
そもそも、「造影CTの前になぜ炭酸水素ナトリウム?」という理由ですが、上記のガイドラインでも記述されています。
ガイドラインによると、炭酸水素ナトリウム自体は、輸液時間の無い時には推奨される薬剤選択です。なので、きちんとしたエビデンスに基づいた医療をしようとしたのは間違いありません。
もちろん、高濃度の炭酸水素ナトリウム(メイロン)を用いる際は、生理食塩水で希釈して点滴する必要がありますが。
(医療者向け)
生理食塩水の点滴は、造影剤腎症の発症を予防するため、造影前後の生食投与は強く推奨される(推奨グレード A)
造影剤腎症の発症率に関しては重曹輸液群が優れていたが、造影剤腎症による透析導入や心不全の発症、死亡率については有意差がなかった。
また、生理食塩液輸液と重曹輸液に有意な差はないとするメタ解析もある。
重曹群 945 例と対照群 945 例を解析した結果は、RR 0.71(95%CI 0.41~1.03)と有意差はないものの、重曹輸液の有効性を示唆する結果となっている。投与のプロトコールとしては、造影前後6~12時間で1ml/kg/時間の点滴静注が推奨されている。造影前1時間は3ml/kg/時間、投与後6時間は1ml/kg/時間の点滴とするプロトコールもある。
炭酸水素ナトリウムは、本来すぐに命に関わる程の水負荷は起こらないと考えられます。もちろん劇薬の指定ではありません。
しかし、今回の男性患者はもともと心不全をもっており、高濃度の炭酸水素ナトリウムで増える水の負荷に耐えられなかった可能性があります。
患者は心停止の前に「血管痛」「顔面のほてり」「首のしびれ」などを訴えていたようです。すべてが薬剤投与の影響かはわかりませんが、高濃度点滴や心負荷による症状だった可能性もあるため、投与内容を確認するべきだったと思います。
③患者の薬剤情報は主治医が把握しておくべき
この患者の最終的な死因は、「出血性ショックによる多臓器不全」とされています。
つまり、胸骨圧迫による出血を止めることができずに失血死してしまったということです。
結果だけを見た場合、胸骨圧迫→胸腔内出血→死亡 というエピソードは頻度の低いものではありません。強く胸を圧迫するため骨折や血管損傷はよく起こる合併症です。
抗凝固薬を飲んでいなかったからといって、この患者が助かったかどうかは微妙なラインかと思われます。
しかし、抗凝固薬の情報があれば、できたこともあります。
たとえば、ワーファリンを飲んでいたならば、拮抗薬であるビタミンKを投与したり、新鮮凍結血漿などを輸血する方法もあったでしょう。
何より、「抗凝固薬を飲んでいる」というのを把握していること自体が、目に見えない胸腔内出血を予測する手がかりになります。そのため、状態が悪化した際により迅速な対応ができたかもしれません。
入院患者だったのであれば、少なくとも主治医は内服薬について把握しておくべきだったのではと感じます。
私も、たくさん薬を飲んでいる患者さんは覚えるのが大変ですが、抗凝固薬・抗血小板薬の内服有無は必ず把握するようにしています。
裁判になった場合の争点は?
遺族が発生時期などを明らかにしていないため、おそらく和解という形になる可能性が高いと考えますが、医療裁判になった場合を考えてみます。
病院側がミスを認めているのは
・投与した炭酸水素ナトリウムの濃度に誤りがあった
・抗凝固薬を内服している確認が遅れた
という点です。
これらが患者の死亡と因果関係があったかどうかが、争点になると思われます。
患者の全身状態を勘案すると、必ずしも因果関係は証明できないと思いますが、ミスは明らかなため、和解であれば年齢によってはかなりの金額を提示されるのではないでしょうか。
しかし、京大病院には、再発防止に向けた対応を強く望みます。